研究紹介
培養細胞へのうつ病患者の血清投与による遺伝子発現変動の解析
実施責任者:教授 吉村 玲児
本研究は、うつ病患者の血清を培養細胞に投与し、その影響による遺伝子発現の変動を解析することを目的としています。うつ病は複雑な病態であり、その生物学的メカニズムの解明は依然として不十分です。血清中に含まれる様々な因子が細胞内のシグナル伝達や遺伝子発現にどのような影響を与えるのかを解明するために、健常者とうつ病患者の血清を使用し、培養細胞に加えた後の遺伝子発現プロファイル(mRNA, miRNA)の変化を網羅的に解析します。この研究により、うつ病の病態に関連する特定の遺伝子や分子機構の解明が期待され、新たな治療標的やバイオマーカーの発見に繋がる可能性があります。
用語説明
mRNA(メッセンジャーRNA):体の中で遺伝子情報を伝えるための「メッセージ」を運ぶ分子のことです。私たちの体は、DNAという設計図を基に作られていますが、mRNAがこのDNA設計図のコピーを作り、それを細胞の工場であるリボソームに運びます。リボソームは、このmRNAの情報を読み取って、体に必要なタンパク質を作り出します。つまり、mRNAは遺伝子の情報を使って、私たちの体を構築したり、維持したりするために重要な役割を果たしています。
miRNA(マイクロRNA):体の中で遺伝子の働きを調整する小さな分子です。mRNAがタンパク質を作るためのメッセージを運ぶのに対して、miRNAはそのメッセージがどれだけ使われるかをコントロールします。具体的には、mRNAに結びついてその働きを弱めたり、止めたりすることで、必要なタンパク質の量を調整します。miRNAは体の成長や病気の進行を調節する重要な役割を担っており、近年、精神疾患との関わりが注目されています。
精神病態について
実施責任者:教授 吉村 玲児
精神科疾患は現在まで、患者さんの訴える症状や患者さんの行動観察のみに基づき、操作的診断基準(ICD-11, DSM-5-TR)により行われています。つまり精神疾患の病態生理には全く関心を払わずに診断や治療が行われています。その結果、医師ごとに診断一比率がことなり、薬物治療やカウンセリングへの反応も低いままであり、社会復帰の割合も低いままです。このような現状を打破するために、我々は、遺伝子・体液・脳画像データ・認知機能データを収集し、それに基づく科学的な精神疾患の診断分類を確立させることを目指しております。
精神疾患データベースの構築・利活用により精神疾患の病態を
解明しその障害を支援するための研究
実施責任者:教授 吉村 玲児
精神疾患は現在患者さんの訴える症状やその行動観察のみから行われているために、診断の一致率が低く、治療ガイドラインの科学性にも疑義が生じています。癌や循環器疾患では、患者さんのデータベース化が進んでおり、ゲノム・病理診断、画像データなど多くの情報を蓄積することにより、その診断をより精緻なものとすることで、治療や創薬、ひいては予後の改善がもたらされています。この研究は、精神疾患も同様に、患者さんのゲノム・血液データ・脳画像データ・認知機能データを蓄積しデータベースを構築することにより、精神疾患の原因究明や治療法の開発につなげ、精神疾患で苦しんでいる患者さんの回復に貢献することを目的としています。
ウェラブルデバイスと人工知能を用いた
統合失調症の日常生活満足度に関する研究
実施責任者:教授 吉村 玲児
私たちは九州工業大学人工知能システム工学・人間・社会的知能システム研究室(柴田智広教授)のグループと共同でウェラブルデバイスと人工知能を用いて統合失調症患者の精神症状や社会生活満足度を評価する挑戦的な研究を行っている。自律神経のゆらぎ、表情、視線、音声などのデータと血液中メタボロミクス、エキソソーム解析結果から得られた膨大なデータをAIで解析することで、これまでは自記式や他覚的質問票からのみの評価を補完することを目的としている。
認知症介護が就労者の心理状態に及ぼす影響に関する研究
実施責任者:准教授 池ノ内 篤子
認知症高齢者は、2013年度の調査で462万人おり、2060年には850万人に達すると推計されています。家族などが認知症要介護者にかける時間は約25時間/週を要し、経済的負担も382万円/年かかります。これまでは、働いていない家族が介護を担ってきましたが、一世帯あたりの家族数が少なくなり、仕事をしながら介護している就労者が増えています。そのため、認知症要介護者を抱える親族には経済的、時間的、心理的に負担がかかっていると考えられます。よって、認知症の親族を介護しながら働いている就労者のメンタルヘルス不調や介護離職を予防し、仕事と認知症の介護のバランスをとることは、公衆衛生上の課題です。
本研究の目的は、認知症の親族を介護している就労者の心理状態と就労環境および認知症要介護者の状態の関連を明らかにすることです。その結果を活用し、介護しながら働く就労者を支援し、仕事と介護の両立をしやすい社会づくりに貢献します。
糖尿病がうつ病の治療に及ぼす影響
実施責任者:助教 星川 大
最近日本では、うつ病、糖尿病にかかる人が増えており、今後さらに増加することが予想されます。これらの病気は健康寿命、生活の質、仕事に大きな影響をおよぼします。糖尿病では、うつ病の合併が高く、うつ病でも糖尿病の合併が多いことが知られています。うつ病は第3の糖尿病ともいわれています。これはうつ病と糖尿病には共通した原因が存在している可能性があります。さらには、これらの病気の合併は両疾患をさらに悪化させることに繋がります。今回の研究では、血液中の幾つかの物質の測定や頭部MRI検査から、うつ病と糖尿病で共通する病気の原因を明らかにします。この研究はうつ病で糖尿病を合併した場合の治療法の確立に役立ちます。
気分状態の安定した双極性障害患者の認知機能改善に対する
Lurasidone 併用療法(ELICE-BD)の有効性評価のための
6週間のランダム化二重盲検プラセボ対照多施設試験
実施責任者:教授 吉村 玲児
双極性障害(躁うつ病)は気分の浮き沈みが激しくなるという病気です。このため、日常生活や社会適応がうまくいかなくなることもあります。現在、その治療法として薬物投与などが実施されますが、主に気分の状態の改善が目標となっております。一方、患者さんの社会復帰には、記憶、注意、処理速度など、いわゆる認知機能の改善が重要とされます。しかし、双極性障害の認知機能改善を目的とした薬物治療法については、これまでほとんど調べられていません。
本研究は、lurasidone(ルラシドン)という薬物を服用していただき、認知機能や関連する症状を評価することで、双極性障害の治療法の向上に役立てることを目的としています。なお、ルラシドンはわが国では未承認の非定型抗精神病薬ですが、米国およびカナダで双極性障害I型に伴ううつ病エピソードに対して承認が得られており、安全性が確認されている薬剤です。先にカナダで行われた少数の双極性障害患者に参加していただいたパイロット研究では、ルラシドンによる認知機能の改善効果が認められています。
うつ病の病態や重症度を反映する新規バイオマーカーの探索
実施責任者:助教 関 一誠
今日、国策としてストレスチェック制度が導入されるなど、うつ病の罹患数、うつ病による経済損失などの増加に伴い、うつ病に対する関心が日々高まっています。しかし、うつ病の診断は、診断基準に照らして臨床症状のみから判断されるため、その診断精度についてはかねてより問題視する声が上がっています。そして、このことが、うつ病の治療や研究の足枷になっているという現状があります。
本研究は、遺伝子の転写後調節を行う最も重要な調節因子であると考えられているmiRNAと、うつ病の病態や重症度との関連を明らかにすることが目的です。
miRNAは20前後の少数の塩基から成るRNAであり、遺伝子の発現を調節する機能などを備えています。近年、miRNAは特定のがん、また多数の病気やウイルス感染において重要な役割を担うことが報告されています。これらの結果からmiRNAが今後病気の診断や予後の指標となる可能性や、miRNAを用いた遺伝子治療の可能性を示唆されています。
miRNAは、精神科領域においても診断バイオマーカーや核酸医薬による治療開発など、将来の成長発展が最も期待されている先端的な分子のひとつです。miRNAに、これまで客観性に乏しかったうつ病の診断に有用なバイオマーカーとしての価値が見出されれば、うつ病の誤診を減らし、早期発見、早期治療につながる可能性が考えられます。また、このことは、うつ病で苦しむ患者さんの社会的・経済的不利益を減じ、ひいては医療費の削減につながる可能性も持つものと考えられます。
電気痙攣療法後の薬物療法戦略と再発予測因子の検証
実施責任者:助教 富永 裕崇
うつ病患者さんの薬物療法にはまずは抗うつ薬が用いられますが、薬物療法を行っても効果が不十分な患者が約1/3存在し、2種類の抗うつ薬で改善せず、3種類目で効果が得られる患者は1割程度と極端に低下します(Rush et al, 2006)。このような患者さんを治療抵抗性といい薬物療法以外の治療選択肢として電気痙攣療法があります。しかし、電気痙攣療法は急性期においては7割の患者さんで効果が得られる有効性の高い治療法であると言えますが、効果が得られても6か月以内に6割が再発する(Moksnes, 2011)ことが重要な課題です。本研究ではうつ病患者さんの電気痙攣療法後の再発予防効果の高い薬物療法を確立し、薬理学的な戦略を明らかとすることまた再発関連因子の探索を行うことを目的とします。本研究によって、電気痙攣療法後の再発という課題に対する効果的な薬物療法の確立と再発予測の観点からの個別化医療の確立に繋がると考えます。
統合失調症の臨床症状とキヌレニン経路との関連についての研究
実施責任者:助教 岡本 直通
統合失調症の有病率は約1%と頻度の高い疾患です。統合失調症の発症原因として、ドーパミン(DA)神経伝達亢進仮説が有名です。これは統合失調症では脳内のDA分泌が過剰となりDA神経伝達が亢進しているというものです。実際の治療でもDA受容体を阻害する抗精神病薬を使用します。しかし、DA神経亢進のみでは統合失調症の病態は説明できません。最近の研究では統合失調症ではグルタミン酸神経伝達が低下しており、それが統合失調症の認知機能障害や陰性症状と関連すると考えられています。
さらに統合失調症のグルタミン酸伝達機能低下にはキヌレニン経路が関与していると言われています。また、炎症性サイトカインのインターロイキンβ(IL-β)やインターロイキン6(IL-6)がキヌレニン経路への影響を与える可能性もあります。
本研究の意義は統合失調症で認知障害や陰性症状が出現する病態を解明し更には新規薬物の創薬に貢献すると思われます。最終的には統合失調症で苦しむ患者さんの社会的復帰に貢献する可能性があります。
休職中の気分障害勤労者への集団精神療法の効果
実施責任者:助教 手錢 宏文
近年、うつ状態によって休業される方が増加しており、さらに再休職が多いことが複数報告されています(Endo et al., 2013;Knudsen et al., 2013;Koopmans et al., 2011)。また、復職から1年以内の再休職が多く、通常治療のみでは継続的な社会復帰には至らないことが指摘されています(堀ら,2013;Sado et al., 2014)。そこでリワーク活動が全国で盛んにおこなわれ、その成果が報告されています。通常、リワーク活動はデイケア活動の一貫として週5日間で認知行動療法、ロールプレイ、自己分析、オフィスワーク、運動などを実施している施設が多いですが、その他、実施形態や頻度が異なる施設もあり、復職支援に対する効果や要因は明らかになっていません。
そこで、我々は、復職の準備段階から通常勤務が可能となるまでの期間に、通常の外来診療に加えて、週1回120分間の集団精神療法を実施し、定期的な評価を実施しながら、うつ状態からの復職を目指す方の機能改善、復職に至るまでの期間短縮、復職後の再発予防にもたらす効果や要因を検証します。
就労中の双極性障害および統合失調症患者の運転技能検討
実施責任者:助教 小西 勇輝
本研究は名古屋大学精神科との共同研究として実施します。 双極性障害および統合失調症という疾病は、回復期においては社会活動性が高いにもかかわらず、再発率が高く、再発の予防が治療の要となります。中でも、気分安定薬を中心とした薬物による治療が再発の予防にとって効果があると証明され、買い物や就労などの社会生活を送りながらも継続した服薬が欠かせません。一方で、治療に使用される向精神薬の添付文書では、服薬中の運転中止あるいは運転注意が求められており、本来、恩恵があるはずの薬剤が患者さんの社会生活を制限しているのが現状です。科学的根拠に基づいた規制や情報提供が望まれますが、とりわけ双極性障害と統合失調症およびその治療薬が自動車運転に与える影響に関する科学的根拠は国内外ともに見当たりません。一律に規制される現状は、患者さんの生活の質を低下させ、社会参画を遠ざけており、個人の権利と公共の安全性を鑑みた科学的検証が課題となっています。本研究の目的は、双極性障害および統合失調症の患者さんの自動車運転技能の実態を調査し、どのような要因が自動車の運転技能に影響するかを明らかにし、気分安定薬等の治療薬の種類によって運転技能に異なる影響を与えるかを確認することです。本研究は、学術的意義があるばかりか、科学的根拠に基づいて、個人の権利と公共の安全の両立を実現する社会的意義がありうます。自動車運転を考慮した薬物療法の適正化にも繋がると考えています。